カートの本と音楽の(PUNKな)日々2

村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか?」

村上春樹の「ラオスにいったい何があるというんですか?」を読んでみた。

村上春樹の紀行文といえば「雨天・炎天」とか「遠い太鼓」なんかがあった訳だが、
こちらも久々の紀行文集で、ボストン、アイスランド、ポートランド(オレゴン州とメイン州)
ギリシャのミコノス島とスペッツェス島、ニュー・ヨーク、フィンランド、
ラオス、トスカナ(もちろんイタリアだ)、そして熊本。
意外と普通の人が称揚しないような場所に行くよね。でもそれが面白いんだけどね。
ミコノスなんかは「ノルウェイの森」の執筆時に住んでいた場所だったりして、
作者にとって、そして僕にとっても感慨の深い場所だ。
もちろん僕はギリシャなんか行ったことないんだけど、
日本の恋愛小説のナンバー1は戦前だと漱石の「それから」、
戦後だと春樹の「ノルウェイの森」だと思っているのでね。
それはさて置き、ニュー・ヨークのヴィレッジ・ヴァンガードの話とか良いなぁと思うんですが、
全体を通して読むと、ヨーロッパを訪れたときの文章の方が活き活きしている気がする。
村上春樹=アメリカ文学と云うイメージが強いんだけど、どちらかと云うとヨーロッパ向きの人なのかもしれない。

割と軽くてさらっと読める本でした。おススメ。

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村上春樹「女のいない男たち」

村上春樹の「女のいない男たち」を読んでみた。
村上春樹にしてはめずらしく(と、本人も書いているが)まえがき付きの短編集。
短編集としては2005年の「東京奇譚集」以来9年ぶりに出た(初版は2014年)もの。
実は長編「1Q84」を読み終わっているんだけど、なんとなく感想を書く気にならず、
「女のいない男たち」の方を先に。

「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」「女のいない男たち」の
6篇を収めた本作。
表題通り、“女のいない男”が主人公の短編ばかりで、コンセプトアルバム的なノリ。
全体的には前作「東京奇譚集」よりも面白かった。
特に「木野」の出来が良いと思う。
木野は妻と同僚の浮気現場を目撃してしまい、会社を辞め、離婚をすることに。
親しい伯母から東京青山の一軒家を借りて、一階をバーに改装(以前は一階は喫茶店だった)し
一人で営業を始める。
店の名は「木野」
飾り気のないバーで、最初は一人も客が入らない日が続いたが、
やがて固定客が付き始めて営業も軌道に乗る。
たとえばカミタと云う週に二回ほど訪れる男性客。
いつも分厚い単行本を読みながら、ビールとスコッチの水割りを飲む。
たとえば灰色の若い雌の野良猫。
その矢先、ちょっとオカルトっぽいことが起きて、木野は店をしばらく休むことになる。
オカルトと云うよりは不条理っぽいと云うか。

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村上春樹「スプートニクの恋人」

村上春樹の「スプートニクの恋人」を読んでみた。
発売当時、一回だけ読んだ事があるんだけど、随分と久しぶりの二回目。
正直に云うと、初めて読んだ時の印象はあまり良くなかった。
自分は気に入った本は何回も読み返すタイプなので、
お気に入りの作家である村上春樹の作品を一回だけで投げ出すのは珍しい。
なので村上作品を読み返すにあたって、とりあえず一番手前にあったから・・・・と云う理由で
読み始めたんだけど、自分でも意外な事に今回は興しろく感じた。


タイトルのスプートニクとは旧ソ連の人工衛星のこと。
作中では、冒頭部と終結部の会話の中で出てきます。

語り手は「ぼく」。
ぼくは小学校の教師をしているが、大学時代の年下の友人すみれに恋をしている。
すみれはジャック・ケルアックに傾倒している、ややエキセントリックな女性で
小説家になるため大学を2年で中退し、作品としては完成しないものの、文章を書きまくっている。
ぼくはすみれに想いを伝えることが出来ない。すみれはすみれで恋愛には全く興味が無い。
ただ、お互いにとって唯一の友人であるだけ。
そんな中、すみれはたまたま出席した結婚式でミュウと出会い、生まれて初めて恋に落ちる。
ミュウはすみれよりも17歳も年上の女性で既婚者だが、2人は意気投合し
ミュウの元で秘書としてすみれは働き始める。
でもやはり、すみれはミュウに想いを伝えることが出来ない。
ミュウとすみれは仕事でヨーロッパを訪れるが、ギリシャの島である事件が起こる。
ギリシャの島と云えばもちろん村上春樹自身が滞在(「遠い太鼓」を参照)し、
「ノルウェイの森」を執筆していた訳だが、レスボス島があることにも留意したい。

語り手である「ぼく」の名前は出てこないが、すみれの書いた文章の中で「K」とされているのが
「ぼく」の事であろう。
カフカの「審判」も「城」も主人公は「K」である事を当然のように想起させられるが、さて。


主要な登場人物は、ぼく、すみれ、ミュウの3人だけ。
「ぼく」は村上春樹の主人公としては定番なタイプ。
「ぼく」はモテるタイプでは決して無いと自ら云いつつ、肉体関係を持つ女性には事欠かないが
本当に必要な女性とは決して結ばれない。そして友達と云えるのは1人だけ。

木に登った猫の話(あちらの世界に行く猫?)、観覧車の話(あちらの世界を覗いてしまう)、
警備員との対話(コレはコレでこちらの世界の認識の話と云うか)、
にんじんとの対話(「ぼく」が初めて本音で話している)が
本編のストーリーに重要な働きをする訳だが、あちらの世界(異界)の話は
村上作品にとっては大変重要なテーマだし、得意の井戸も出てくる。

と云う訳で、意外と興しろく読めたのが自分でも意外だったし、
なにしろ内容をほとんど覚えていなかったことに驚いた。


今まで「1Q84」と「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を敢えて避けてきたんだけど、
そろそろ読まなきゃなと。
助走のつもりで、ちょっと集中的に村上作品を読んでみようかと思っている。

11-26 001
気分を変えて今日のおやつ。
ジョエル・ロブションのパン
栗とカシスのクロワッサン、シャンティーニュ、スイートポテトのタルトが秋らしく栗を使った物。
エピは定番だね。

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村上春樹著「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」

読み直すのは何回目かな。何しろ10回程度は読んでいると思います。
村上春樹の作品としては、好きな方の作品ですね。
ちなみに一番好きなのは「羊をめぐる冒険」ですね。

初めて読んだのは'88年のようです。今、奥付を確認しましたので。21年も前かぁ、ちょっとビックリ。

「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終わり」の二つの物語が交互に語られます。
現実世界のハードボイルドと云うよりはややSFっぽい物語と「世界の終わり」の物語が、
どのような関係になっているかは後半で明らかになります。

組織(システム)に属する計算士である「ハードボイルド〜」の主人公は
エージェントを通さずに、ある老人から仕事の以来を請けます。
禁じられたはずの「シャフリング」法を使って、情報を処理する事を依頼された主人公は
怪しい2人組みに部屋をメチャメチャにされたり、一角獣の頭骨を持たされたり
「やみくろ」に脅えながら東京の地下をさまよったりと
本人にも訳の解らぬままに事件に巻き込まれてゆきます。
しかし、そんな事件よりも彼自身の「世界の終わり」が迫ってきます。

そして、「世界の終わり」では不思議な街のなかで、自分の影と引き離された「僕」は
奇妙な完璧さの中で「夢読み」の仕事を始め、「心」を失った人々と生きることに。

初期の春樹らしいモチーフに満ちた、物悲しい雰囲気に彩られた小説です。
良い作品だと思います。
最近の村上春樹作品しか読んでいない方にも是非読んでいただきたい。

初めて読んだときにも思ったのですが、
百科事典棒(百科事典の全ての文章をAは01、Bは02といった風に全部数字に置き換え
一番前に小数点を置くと、どんなに長い文章も0.〇〇〇・・・・と云う1未満の長い少数になります。
この少数を対応したポイントで楊枝に刻み込む。と、楊枝でのポイントの位置を正確に読み取って
文字に直すと、どんなに長い文章を含んだ、どんなに分厚い本も楊枝1本に記述できるという考え方)
の話はスタニスワフ・レムの「泰平ヨン」シリーズを私に思い出させます。
同じ話をレムが書いていたという事ではなくて、雰囲気と云うか「感じが」同じ気がするんですね。
なにか、元ネタがあるんでしょうけど、不思議とこのシーンを読むとレムを思い出す。
「世界の終わり」で永遠に生きる事もレムの同シリーズの
不死の話(いま、手元にないのでタイトルなどは確認できないのですが)を
私は想起させられる。

しかし、自分だったら「一瞬」の中で「永遠」に生きる事を選ぶのだろうか?
それが自分のための世界だとして。
それが「一瞬」の中に「永遠」に捉われる事と同義だとして。
自分が失ったものと失いつつあるものがその世界にある。
そこには何もかもがあり、同時に何もかもがない世界。
自分が自分自身になれる世界かぁ。
やっぱり・・・、自分なら・・・・・。



ちなみに、主人公が爪きりを、リファレンス係の女の子にプレゼントするシーンが妙に好きです。

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